ヴァイオリニストの逸話 - ミルシテイン

かのハイフェッツの同門…なのは事実ですが、わざわざそんな枕詞を付けて語られることも少ないように思われる大ヴァイオリニスト。どんなタイプの演奏家なのでしょうか?パールマンは次のように語っています。

「彼は古今東西最も音が明瞭・透明なヴァイオリニストだ」

まさしく言い得て妙といったところ、なるほどと思わせるコメントです。彼の演奏は音色もフレージングも非常に明瞭で、独特の気品があります。バロックの時代の楽曲からパガニーニのような難曲まで、そのスタイルは全く同等で、技巧性を強調しないその演奏スタイルが逆にとてつもない演奏技術の裏付けを感じさせます。彼が練習の虫だったことは有名で、ギトリスは次のように回想しています。

「彼は毎日毎晩、来る日も来る日も練習していたよ。私が彼に会いに行った時も練習していた。何十年も弾いているような楽曲を取り出しては『もっと明瞭なフレージングができる指使いを発見したぞ!』と喜んでいる。まるで時計職人のような人だ。演奏はもう完璧と言う他ないね。」

そんな彼の性格を感じさせる彼自身のコメントがあります。

「僕には難しいという言葉の意味がわからない。その曲は弾けるのか、弾けないのか、それだけだよ。」

1925年、ヨーロッパでの演奏旅行を目的として、ソビエトの若き音楽家3人が出国を許可されます。彼らは西側諸国での小遣い稼ぎに、何の変哲もないカフェバーでトリオで演奏したそうです。そのメンバーはピアノのルービンシュタイン、チェロのピアティゴルスキー、そしてミルシテインでした。今、そんな夢のようなカフェバーがあるのなら是非行ってみたいものです。

脚注:このエピソードはマーガレット・キャンベル著「名ヴァイオリニストたち」から引用しましたが、1925年の演奏旅行時のピアニストはホロヴィッツであるとご指摘を頂きました。お詫びして訂正します。

その後、ミルシテインは二度とソビエトには帰りませんでした。彼自身はその理由を次のように語っています。

「私はソビエトを出国した時とても良い気持ちだった。二度と戻って来ないとも思っていなかった。正式に出国しただけで、逃げたわけでもない。ただ、その後帰ることがなかったというだけだ。」

この文章は、当社代表取締役の茶木祐一郎が過去執筆したメールマガジン「ヴァイオリン・ファン」第5号から引用しました。引用にあたり一部加筆・修整を行っています。

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