名器の中の名器、ストラディヴァリはおよそ600挺のヴァイオリンを製作したと言われていますが、対してチェロはおよそ60面しか製作していません。ストラディヴァリのチェロは非常に貴重なのです。
ストラディヴァリが活躍した時代、彼の作品を心待ちにしてオーダーする顧客がヨーロッパ中にいました。スペインもそのうちのひとつで、スペインの王室にカルテットの楽器が納められたこともあります。
さて、ストラディヴァリの黄金期真っ只中の1713年、素晴らしいチェロがとあるスペインの顧客に納められました。
あるときこのチェロは音の調子が悪くなり、スペイン国内の工房へ修理に出されます。しかし不幸なことに、その工房の主人は名器に対する尊敬と修理に関するまともな見識を持ち合わせていませんでした。というのも、彼は『私の作った表板を付ければこの楽器も少しはましな音になるだろう』と言って何とこの名器の表板を付け替えてしまったのです。
フランスの名製作家シャノーがスペイン旅行をしたとき、偶然その工房で軒先の看板代わりに無造作に掛かっているストラディヴァリの表板を発見します。
名器を知り尽くしているシャノーは一目見てそれがストラディヴァリの表板だとわかりましたが、同時に『何故このような工房にストラディヴァリの表板があるのだろう?』と不思議に思いました。 彼は知らぬ顔をしながら、タダ同然の値段でこの貴重な表板を譲ってもらう交渉に成功しました。
その後、有名な楽器収集家のタリシオはシャノーの工房でこの表板を見つけその素晴らしさに惚れ込んで購入します。シャノーから話を聞いたタリシオはその足でスペインへ向かい、執念で“表板だけ出来の悪い”ストラディヴァリのチェロを発見します。後にこの楽器は当時の最も高名なディーラー、ヴィヨームの工房で元の姿に戻り、ロシア政府へと販売されました。
この数奇な出来事から、いつしか『バス・オブ・スペイン』と呼ばれるようになったこのチェロは、イギリスのヒル商会、アメリカのウィリッツァー商会など、超一流のディーラーの手を渡り歩きながら、最後にはとある日本のディーラーに所有された後、現在の所有者であるアメリカのコレクターの手に渡りました(ちなみに彼は超有名IT企業の創業メンバーです)。
この文章は、当社代表取締役の茶木祐一郎が過去執筆したメールマガジン「ヴァイオリン・ファン」第10号から引用しました。引用にあたり一部加筆・修整を行っています。